突如として日本のフードデリバリー市場に現れた「ロケットナウ」。テレビCMやネット広告で「配達料ゼロ、サービス料ゼロ」という衝撃的なメッセージを目にした人も多いだろう。先行するUber Eatsや出前館が築き上げた市場の常識を、根底から覆しかねないこの黒船は、一体何者で、その狙いはどこにあるのか。具体的な数字と事実から、その正体を解き明かす。
正体は「韓国の巨人」
ロケットナウを運営するのは、CP One Japan合同会社 。これはニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場する韓国のEコマース大手「クーパン(Coupang)」の完全子会社である。「韓国のAmazon」とも呼ばれるこの巨大企業は、超高速配送「ロケット配送」を武器に韓国市場を席巻した実績を持つ。
その日本上陸は、まさに電撃的だった。2025年1月14日に東京都港区という極めて限定的なエリアでテストサービスを開始すると、わずか数ヶ月で東京23区全域をカバー。さらに神奈川、埼玉、千葉の首都圏、そして大阪市へと、驚異的なスピードでサービスエリアを拡大している。この急拡大を支えているのが、クーパンの潤沢な資本力である。
「タダ」の裏側にあるビジネスモデル
なぜ、配達料もサービス料も無料にできるのか。その答えは、収益構造にある。ロケットナウの収益は、加盟する飲食店から徴収する手数料に完全に依存している。手数料率は公表されていないが、業界の分析によれば、注文金額のおおよそ10%から35%に設定されていると見られる。
つまり、ユーザーが支払うべきコストを加盟店が肩代わりする構造だ。飲食店側は、手数料を支払う代わりに、広告費ゼロで新規顧客を獲得できる。実際に、加盟後わずか2週間で売上が400%増加したという驚異的な事例も報告されている。
しかし、手数料収入だけで配達員の報酬やシステム維持費、大規模な広告費をすべて賄えるはずがない。このモデルは、短期的な利益を度外視した「先行投資」戦略そのものである。圧倒的な資本を投下して、まずは市場シェアを奪い取る。利益を追求するのは、市場の覇権を握った後。これは、テクノロジー業界で「ブリッツスケーリング(電撃的拡大)」と呼ばれる典型的な成長戦略だ。
一度目の失敗から学んだ再挑戦
実は、クーパンの日本挑戦は今回が初めてではない。2021年、同社は食料品や日用品を配送するクイックコマース事業で日本に進出。しかし、Amazonという巨人との競争や、日本の高い物流コスト、現金決済文化といった壁に阻まれ、2023年3月に日本市場からの撤退を余儀なくされた。
一度失敗した市場へ、なぜ舞い戻ってきたのか。その理由は、日本のフードデリバリー市場の急成長にある。市場規模は、コロナ禍前の2019年の約4,183億円から、2023年には8,600億円を超える規模へと倍増した。クーパンは、一度目の失敗で得た教訓を活かし、より成長性が高く、かつ自社のテクノロジーが活きる「フードデリバリー」という戦場を選んで再上陸を果たしたのだ。
王者不在の消耗戦へ
現在の市場は、加盟店数18万店以上のUber Eatsと、10万店以上の出前館が二強として君臨している。ロケットナウの加盟店数はまだ少ないが、「価格」という最も強力な武器でユーザーを奪いにきている。
ただし、「完全無料」にはいくつかの注意点が存在する。例えば、バーガーキングのような大手チェーンでも、ハンバーガー1個だけを注文することはできない。「最低注文金額」が1,200円などに設定されているためだ。また、追加で250円程度の「優先配達料」を支払わない限り、配達員が別の場所に立ち寄る可能性があることも知っておくべきだ。
この価格破壊戦略は、既存の王者たちに強烈なプレッシャーを与えている。今後、業界全体が値下げ競争という消耗戦に突入する可能性は高い。一方で、フードデリバリー業界は、ギグワーカーの労働環境や交通安全、表示の適正性といった課題も抱えている。厚生労働省や消費者庁などもガイドラインを示すなど、その動向を注視しており、プラットフォーム事業者の社会的責任はますます重くなっている。
最終目標は「経済圏」の構築
ロケットナウの「無料」戦略が永遠に続く保証はない。一定の市場シェアを獲得した後、有料のサブスクリプションモデルを導入したり、サービス料を段階的に導入したりすることは十分に考えられる。
しかし、クーパンの真の狙いは、単なるフードデリバリー事業の成功ではないだろう。ロケットナウで獲得した膨大な顧客基盤と配達ネットワークは、将来、他のサービスを展開するための強力な武器となる。かつて撤退したクイックコマース事業への再参入や、独自の決済サービス「クーパンペイ」の導入など、日本市場に巨大な「クーパン経済圏」を築くことこそが、彼らの最終目標かもしれない。
ロケットナウの挑戦は、単なるフードデリバリーの価格競争ではない。日本の巨大なオンデマンド消費市場の未来を賭けた、壮大なゲームの始まりなのである。




