イオン株価、歴史的高値への軌跡
2025年10月17日、東京株式市場でイオン(東証プライム:8267)の株価が歴史を塗り替えた。前日までの勢いを引き継ぎ続伸した株価は、取引時間中に一時、前日比177円高となる2278円50銭まで急騰。これは株式分割を考慮した実質的な上場来高値であり、連日の記録更新となった。市場の熱狂は一過性のものではなかった。
この劇的な株価上昇の直接的な引き金となったのは、3日前の10月14日に発表された2026年2月期第2四半期(2025年3月〜8月)の連結決算である。市場の事前予想を上回る堅調な業績が、投資家の買い意欲を強く刺激したのだ。
しかし、この熱狂の背景には、もう一つの重要な布石があった。イオンが2025年9月1日付で実施した1株を3株にする株式分割である。実に21年ぶりとなるこの措置は、1単元あたりの最低投資金額を引き下げることで、個人投資家がより参加しやすい環境を整える明確な意図があった。株価が4,400円を超えていた分割前と比較して、投資のハードルは劇的に下がった。
この株式分割のタイミングは絶妙であったと言える。好決算の発表を前に投資家層の裾野を広げたことで、ポジティブなニュースが出た際の市場の反応を増幅させる準備が整っていた。つまり、今回の株価急騰は、単なる好決算への反応にとどまらない。周到な株主戦略によって拡大された投資家層が、発表された確かなファンダメンタルズ(基礎的条件)に一斉に反応した結果なのである。さらに、連日の高値更新という事実は、短期的な投機筋の動きだけでなく、企業の将来価値を再評価した機関投資家による本格的な資金流入が続いていることを示唆している。
数字が語る実力
投資家を熱狂させたイオンの決算内容は、その数字の細部にこそ本質的な強さが表れている。2026年2月期第2四半期累計(2025年3月1日〜8月31日)の連結業績は、まさに「傑出」の一言に尽きる。
主要な経営成績は以下の通りである。
- 営業収益: 5兆1,899億円(前年同期比3.8%増)
- 営業利益: 1,181億円(同19.8%増)
- 経常利益: 1,064億円(同18.5%増)
- 親会社株主に帰属する中間純利益: 40億4,800万円(同9.1%増)
ここで最も注目すべきは、営業収益の伸び率と営業利益の伸び率の間に存在する圧倒的な差である。営業収益が3.8%の増加にとどまる一方で、営業利益は19.8%という驚異的な伸びを記録した。これは、売上成長率の5倍以上の速さで利益が拡大していることを意味する。この事実は、イオンが単に規模を拡大しているのではなく、事業の収益性を劇的に改善させていることの動かぬ証拠である。この「利益率の爆発的向上」こそが、市場が最も評価したポイントに他ならない。
表1: イオン株式会社 2026年2月期 第2四半期 連結経営成績ハイライト
| 項目 | 2026年2月期 第2四半期 (2025年3-8月) | 2025年2月期 第2四半期 (2024年3-8月) | 前年同期比 |
|---|---|---|---|
| 営業収益 | 5兆1,899億円 | 4兆9,994億円 | +3.8% |
| 営業利益 | 1,181億円 | 986億円 | +19.8% |
| 経常利益 | 1,064億円 | 898億円 | +18.5% |
| 親会社株主に帰属する中間純利益 | 40億円 | 37億円 | +9.1% |
| 出典: イオン株式会社 2026年2月期 第2四半期決算短信 |
この力強い業績は、特定の事業に依存したものではない。長年の課題であったGMS(総合スーパー)事業の損益が大きく改善したことに加え、SM(スーパーマーケット)事業、そして後述するヘルス&ウエルネス事業が揃って好調を維持した。
特にGMS事業の黒字化は、投資家にとって極めて大きな意味を持つ。長年、イオンの「アキレス腱」と見なされてきたこの巨大セグメントが、お荷物から収益貢献事業へと変貌を遂げたことは、企業全体の収益構造が安定化したことを意味する。これは投資における最大のリスク要因の一つが取り除かれた「デリスキング(リスク低減)」イベントであり、株価の評価基準そのものを押し上げる強力な材料となった。市場は、イオンが質的にも量的にも新たな成長ステージに入ったと判断したのである。
インフレを味方につけるPB戦略
イオンの収益性改善を牽引する最大のエンジン、それがプライベートブランド(PB)の「トップバリュ」である。PBとは、小売業者が自ら企画・開発し、独自のブランドで販売する商品のことだ。メーカー品(ナショナルブランド、NB)と異なり、広告宣伝費や中間マージンを抑えられるため、高品質な商品を低価格で提供でき、同時に小売業者自身も高い利益率を確保できるという特徴を持つ。
現在の経済環境は、このPB戦略にとってまさに追い風となっている。総務省統計局によると、日本の消費者物価指数は2025年8月時点で前年同月比2.7%の上昇を記録しており、物価高は依然として続いている 12。これにより消費者の「節約志向」は極めて強固なものとなった。
この消費マインドの変化を、イオンは完璧に捉えた。トップバリュの上期売上高は、前年同期比11.7%増の5,907億円と過去最高を更新 14。特に、価格訴求型の「トップバリュ ベストプライス」は同13.9%増と力強い伸びを見せ、消費者のニーズに正面から応えた。一方で、品質や価値を重視した「トップバリュ(メインストリーム)」も同9.1%増と好調であり、ブランド全体の信頼性が向上していることを示している。
イオンの戦略は、単に時代の流れに乗るだけではない。むしろ、インフレを競争優位性を築くための「武器」として活用している。多くのNBメーカーがコスト上昇を理由に値上げに踏み切る中、イオンは10月1日から生活必需品60品目の値下げを実施するなど、意図的にNBとの価格差を広げる戦略をとっている。これにより、消費者がNBからトップバリュへ乗り換える経済的合理性は日々高まっている。イオンは、インフレによって生まれた顧客の価格への敏感さを利用し、自社PBへの顧客シフトを能動的に加速させているのだ。
さらに、トップバリュの成功はグループ全体に好循環を生み出している。吉田昭夫社長が指摘するように、トップバリュは過大な販促コストをかけずとも安定して売れる高収益商品であるため、グループ企業が積極的に導入するインセンティブが働く。実際に、グループ傘下に入った中四国のフジでトップバリュの売上が2倍に拡大した事例は、この戦略のポテンシャルの大きさを示している。
これは強力な「フライホイール効果」を生み出す。トップバリュの販売好調が高い収益性をもたらし、その収益性がグループ内での導入を促進する。導入拡大がさらなる規模の経済と交渉力を生み、コスト競争力を高め、それがまた販売好調につながる。この自己強化サイクルこそが、イオンの持続的な成長を支える核心的なメカニズムなのである。
小売二強の明暗
イオンの株価が市場で突出した評価を受ける背景には、最大のライバルであるセブン&アイ・ホールディングス(東証プライム:3382)との鮮明な業績格差がある。「セブン&アイの値動きがさえず、同じ小売業のなかで業績面で優位性のあるイオンを投資対象とする動きが広がっている」という市場関係者の声は、現在の投資家の心理を的確に表している。
両社の2026年2月期第2四半期決算を比較すると、その明暗は数字の上で明らかである。
表2: 業績スナップショット:イオン vs. セブン&アイHD (2026年2月期 第2四半期)
| 項目 | イオン株式会社 | 株式会社セブン&アイ・ホールディングス |
|---|---|---|
| 営業収益 | 5兆1,899億円 (+3.8%) | 5兆6,166億円 (-6.9%) |
| 営業利益 | 1,181億円 (+19.8%) | 2,083億円 (+11.4%) |
| 主な業績変動要因 | ・PB「トップバリュ」の好調 ・GMS事業の損益改善 ・国内リテール事業全般の堅調な成長 | ・海外CVS事業のガソリン販売単価下落による減収 ・スーパーストア事業の構造改革効果 ・国内CVS事業の低迷 |
| 出典: 各社決算短信 |
最大の違いは営業収益の方向性だ。イオンが国内リテール事業の好調を背景に増収を確保したのに対し、セブン&アイは海外コンビニ事業におけるガソリン販売価格の下落が響き、大幅な減収となった。
営業利益を見ると、セブン&アイも増益を達成しているが、その中身が大きく異なる。イオンの利益成長がPB戦略の成功やGMS改革といった「本業の有機的成長」によってもたらされているのに対し、セブン&アイの増益は、長年の課題であったスーパーストア事業の構造改革効果や海外事業の利益率改善に支えられている側面が強い。一方で、屋台骨であるはずの国内コンビニ事業は「低迷」と報じられており、成長のエンジンに懸念が生じている。
投資家は、この「利益の質」の違いを鋭く見抜いている。イオンが示すのは、現在の経済環境に完全に適応し、国内市場で着実にシェアを拡大する、再現性の高い成長ストーリーである。対照的に、セブン&アイの業績はリストラ効果や海外の市況といった外部要因に左右されやすく、本業の成長力には疑問符がつく。
現在の市場の評価は、単なる個別企業の業績比較にとどまらない。GMS、SM、ドラッグストア、金融といった多様な事業体を連携させるイオンの「総合エコシステム戦略」が、グローバルなコンビニ事業に集中するセブン&アイの「選択と集中戦略」に対して、少なくとも現在の日本市場においては、より強靭で魅力的であるという一種の「国民投票」の結果と見ることもできるだろう。
GMS改革、DX、そしてウエルシアという成長ドライバー
トップバリュの成功がイオンの快進撃を象徴していることは間違いないが、その強さは単一の戦略に依存するものではない。GMS改革、デジタルトランスフォーメーション(DX)、そしてヘルス&ウエルネス事業という三つの強力な柱が相互に連携し、死角のない強固な事業布陣を形成している。
GMS事業のルネサンス
長年の課題であったGMS事業は、抜本的な改革によって息を吹き返した。従来画一的であった衣料品売場を、Z世代向けやシニア向けなど、ターゲットを明確にした6つの専門店に分割するなどの試みは、顧客体験を向上させ、商品の魅力を再定義した。また、食品とレストランを融合させた「グローサラント」や、店内食を提供する「ここdeデリ」といった「食」と「コト消費」を組み合わせた新業態の開発も、顧客の新たなニーズを掘り起こしている。
効率化を駆動するDX
DXは、単なる流行り言葉ではなく、収益性を高めるための具体的な手段として機能している。顧客自身が商品をスキャンするセルフレジシステム「レジゴー」は287店舗に導入され、顧客の利便性向上とレジ業務の省人化を両立。また、370店舗で導入されたAIによる発注システムは、在庫を最適化し、食品ロスを削減すると同時に、従業員の生産性を向上させている。これらは、着実に利益を生み出す地道なデジタル改革である。
成長ドライバーとしてのウエルシア
ヘルス&ウエルネス事業の中核を担う子会社のウエルシアホールディングスは、今やグループ全体の成長を牽引する存在だ。ウエルシア単体の2026年2月期上期決算も、売上高が前年同期比7.6%増の6,787億円、営業利益は同20.8%増の228億円と絶好調であった。さらに特筆すべきは、ウエルシア店舗におけるトップバリュ商品の売上が同28.9%も増加している点であり、グループ内シナジーが最大限に発揮されていることを示している。ウエルシアもまた、AI電子薬歴システムなどを活用して生産性を高めており、グループ全体の収益性向上に貢献している。
これらの戦略は、それぞれが独立して機能しているのではない。DXによってGMSの収益性が改善し、活性化したGMSがトップバリュの強力な販売プラットフォームとなる。そして、急成長するウエルシアが新たな販売チャネルとして機能し、同時に医薬品という非裁量的な消費分野を抑える。このようにお互いがお互いを強化し合う「エコシステム戦略」こそが、イオンの真の強さの源泉である。この総合力は、アパレルや食品など、特定の分野に特化した競合他社が容易に模倣できない、深い「堀(Moat)」を築いている。
割高感を示す株価指標
現在のイオンの株価を評価する上で、一つの懸念材料となるのがPER(株価収益率)である。PERとは、株価が1株当たりの純利益の何倍まで買われているかを示す指標で、企業の収益力に対する株価の割安・割高を判断するために用いられる。2025年10月中旬時点で、イオンの予想PERは138倍超という極めて高い水準に達している。これは市場平均を大幅に上回り、投資家が将来の爆発的な成長を織り込んでいることを示唆する一方で、明らかな「過熱感」のシグナルとも解釈できる。
この状況をどう解釈すべきか。強気派(ブル)の見方は、イオンがPB戦略、DX、GMS改革の相乗効果によって、日本の小売市場で持続的に成長するための「勝利の方程式」を確立したというものだ。このエコシステム戦略が生み出す将来の利益成長を考えれば、現在の高いPERも正当化されると主張する。
一方、弱気派(ベア)は、株価はあまりにも急激に上昇しすぎており、数年先の成長まで織り込んでしまったと警告する。138倍というPERは、もはや一切の失敗が許されない水準である。今後の決算で少しでも市場の期待を下回ることがあれば、株価は急激な調整を余儀なくされるだろう。
最終的に、現在のイオンの株価は、過去の実績ではなく、未来の戦略に対する市場の信任投票と言える。投資家は、イオンが単なる安定した大手小売企業(バリュー株)から、革新によって高成長を続ける「グロース株」へと変貌を遂げたと評価しているのだ。この壮大な成長ストーリーを現実のものとし続けることができるか。イオン経営陣の舵取りには、今、市場からの極めて高く、そして重い期待が寄せられている。




