静かなる危機
スーパーマーケット業界が、主食であるコメを震源地とする静かな危機に直面しています。ある大手食品スーパーでは、9月のコメ売上金額が前年比110%と伸びる一方、販売数量は75%に激減しました。これはインフレによる売上増の裏で、記録的な価格高騰が顧客離れを招く「米ショック」と呼ぶべき事態です。この現象は、日本の食生活の構造変化を加速させる引き金となりかねません。本稿では、この危機の構造を解き明かし、その先の戦略を探ります。

需要破壊の崖
消費者の忍耐は限界を超えました。総務省統計局によると、2025年9月の東京都区部で「米類」の消費者物価指数は前年同月比46.8%という驚異的な上昇を記録しました 。この価格水準は、需要が崖から落ちるように急減する「価格弾力性の崖」に達したことを示唆します。市場データ分析のTrueDataによれば、9月の食品スーパーでコメの売上金額は26.6%増えたものの、販売数量は14.9%も減少しています。
これは単なる買い控えではありません。背景には、日本人一人当たりの年間コメ消費量が1962年度の118.3kgをピークに2022年度には50.9kgまで半減したという長期的な「コメ離れ」があります 。今回の価格ショックは、消費者がコメからパンや麺類へ移行する動きを決定的に加速させた可能性があります。一度崩れた食習慣を元に戻すのは極めて困難です。

見せかけの成長
最も危険な罠が、インフレによる「見せかけの成長(ファントムグロース)」です。売上高が微増に見える裏で、ビジネスの根幹が蝕まれているのです。
株式会社オークワの2025年9月度の実績は、この問題を象徴しています。既存店売上高は0.2%増でしたが、その内訳は客数が2.7%減少し、客単価が3.0%増えることで辛うじてプラスを維持したものでした 。これは成長ではなく、顧客基盤が縮小している危険な兆候です。同様に、ライフコーポレーションも既存店売上高1.3%増に対し、客数は0.2%増にとどまっています 。経営層がトップラインの数字に安住すれば、インフレ鎮静後に深刻な顧客離れという現実に直面するでしょう。

価格高騰の複合要因
今回の価格高騰は、複数の要因が重なった「複合災害」です。
- 気候変動: 2023年夏の記録的な猛暑で、新潟県産コシヒカリの一等米比率は例年の約75%から4.9%へと壊滅的に低下しました 。
- コスト上昇: 円安や世界情勢を背景に、肥料、燃料、包装資材などあらゆる生産コストが急騰しました 。
- 政策の脆弱性: 2018年まで続いた減反政策が供給体制の柔軟性を奪い、不作などの供給ショックへの耐性を弱めたと指摘されています 。
- 需要の急増: インバウンド観光の回復や外食需要の増加が、供給逼迫に拍車をかけました 。
これらの要因が重なり、従来の安定的な価格モデルは完全に崩壊しました。

買い物かごの変化
「米ショック」は、ふりかけや漬物といった関連商品の売上を揺るがす副次的影響を生んでいます。漬物業界は原料高騰との二重苦に喘ぐ一方 、ふりかけ市場は少ないご飯を美味しく食べる手段として活況を呈しています 1。
この変化は、コメを食事の中心としてきたスーパーのビジネスモデル全体への挑戦です。コメ消費の永続的な減少は、関連商品エコシステムの再構築を迫ります。同時に、パスタやパン、冷凍麺といった代替主食カテゴリーには大きな成長機会が生まれています。

生き残りの処方箋
この新たな現実を生き抜くため、スーパーは即座に行動を起こすべきです。
第一に、プライベートブランド(PB)の強化です。有名ブランド米が5kgあたり約4,500円から5,000円であるのに対し、PB米やブレンド米は約3,500円から4,000円で提供可能です 。価格に敏感な顧客をつなぎとめる生命線となります。
第二に、小分け・少量パックへの対応です。5kgや10kgの大袋は心理的な購入ハードルが高まっています。1kg袋や2合パックといった少量商品は、単身・高齢者世帯のニーズに応え、購入のきっかけを作ります 。
第三に、データに基づいた防衛策です。POSデータを分析し、「コメを買わなくなった顧客が代わりに何を買っているか」を突き止め、代替商品のプロモーションを強化すべきです。また、来店頻度が低下した顧客を特定し、クーポン送付などで呼び戻す的を絞ったアプローチが不可欠です。

危機を変革へ
「米ショック」は単なる価格問題ではなく、経営の罠を暴き、食生活の変化を加速させる複合的な危機です。この危機を、自社のビジネスモデルを未来に適応させる機会と捉え、機敏に変革を実行できるか。それこそが、新たな市場で繁栄するための唯一の道筋です。
