なぜ大手調剤薬局は上場をやめるのか?日本調剤のTOBから読み解く非上場化の戦略

調剤薬局業界で売上高2位を誇る「日本調剤」が、2024年12月中旬にも東京証券取引所から上場廃止となる見込みです。これは経営破綻ではなく、投資ファンド「アドバンテッジパートナーズ」によるTOB(株式公開買付け)が成立し、同社が非上場化の道を選んだ結果です。

本稿では、この日本調剤の事例を基に、TOBという手法の仕組み、投資ファンドの役割、そして業界大手が非上場化を選択した戦略的意図を深く分析し、現代の資本市場における企業のダイナミズムを明らかにしていきます。

TOB(株式公開買付け)の仕組み

TOBは「Take Over Bid」の略称で、企業の経営権取得などを目的に、買い手が期間、価格、買い付け株数を公告し、証券取引所の市場外で株式を買い集める手法です。

日本調剤のケースでは、アドバンテッジパートナーズが「1株3927円」という、市場価格にプレミアム(上乗せ幅)を加えた価格を提示しました。これにより、株主に対して市場での売却よりも有利な条件を示し、応募を促します。

市場で大量の株式を買い集めようとすると、株価が高騰し取得コストが膨らむリスクがありますが、TOBでは価格を固定できるため、計画的に買収を進められます。また、金融商品取引法は、市場外で一定割合以上の株式を取得する際にTOBの実施を義務付けており、これにより全株主に平等な売却機会を保障し、取引の公平性と透明性を確保しています。

TOBの宣言に対し、株主は「TOBに応募する」「市場で売却する」「保有し続ける」という選択肢を持ちますが、最終的にアドバンテッジパートナーズはTOBによって72.79%の株式を取得し、経営権掌握への道を確実なものとしました。

買収の主体、アドバンテッジパートナーズと投資ファンドの役割

今回の買収の主体であるアドバンテッジパートナーズは、「プライベート・エクティティ・ファンド(PEファンド)」と呼ばれる投資ファンドです。彼らの役割は、投資先企業の価値を向上させ、リターンを最大化することにあります。

そのビジネスモデルは、①年金基金などの機関投資家から資金を調達し、②成長潜在力を持つ企業を買収、③経営に深く関与して企業価値を高め、④数年後に売却(Exit)して利益を投資家に還元する、というプロセスで構成されます。彼らは単なる資本提供者ではなく、経営改善の専門知識と実行力を提供するプロフェッショナル集団です。

投資ファンドがTOBを通じて株式の大量取得を目指すのは、企業の「経営権」を掌握するためです。株式会社では、株式の保有比率が経営上の意思決定権と直結しており、特に議決権の3分の2(約66.7%)以上を確保すると、合併や定款変更といった会社の構造を根本的に変える「特別決議」を単独で可決できます。

アドバンテッジパートナーズは、TOBと創業家からの株式取得を合わせて92.27%の議決権を確保。これは、日本におけるバイアウトファンドの草分けとして、ポッカコーポレーションやダイエーなど数々の企業再生を手がけてきた実績を持つ彼らが、日本調剤の抜本的な企業変革を断行する上で十分な権限を掌握したことを意味します。

日本調剤の戦略的決断―なぜ非上場化を選択したのか

売上高3605億円(2025年3月期)を誇る業界第2位の日本調剤が、なぜ買収を受け入れ、上場廃止の道を選んだのでしょうか。その背景には、業績不振に加え、業界全体が直面する構造的な課題があります。

現在の調剤薬局業界は、国の医療費抑制策を背景とした「調剤報酬の引き下げ圧力」、大手チェーンやドラッグストアとの「競争激化」、そして慢性的な「薬剤師不足」という三重苦に直面しています。このような環境で生き残るには、地域住民の健康を支える「かかりつけ薬局」への転換や、業務効率を飛躍的に高める「デジタルトランスフォーメーション(DX)」への大規模な先行投資が不可欠です。

しかし、こうした長期的な改革は、「上場企業であること」が制約となる場合があります。上場企業は株主から四半期ごとの業績向上を常に求められるため、短期的にはコスト増となる大規模投資に踏み切りにくいというジレンマを抱えています。また、多数の株主の理解を得るプロセスは、機動的な意思決定を阻害する可能性もあります。

このジレンマを解消する手段が、TOBによる「非上場化」です。株式市場から離れることで、日本調剤の経営陣は、日々の株価や短期的な業績に左右されることなく、長期的な視点での経営改革に集中できる環境を手に入れます。したがって、今回の買収受け入れは、企業を抜本的に変革するための、極めて戦略的な決断であったと言えます。

完全子会社化への最終段階「スクイーズアウト」

アドバンテッジパートナーズは92.27%の株式を確保しましたが、経営の自由度とスピードを最大化するためには、100%の株式保有が理想です。そこで実行されるのが、残存する少数株主の株式を強制的に買い取る「スクイーズアウト(締め出し)」です。

この手続きは、株主の任意性に基づくTOBとは異なり、法的な強制力を伴います。日本調剤のケースでは、「株式併合」という手法が用いられます。これは、臨時株主総会で、例えば「既存株式200万株を新株式1株に併合する」といった極端な比率の議案を可決するものです。

この併合により、大量の株式を持たない少数株主の手元には1株に満たない「端株」しか残りません。会社法上、端株主は株主としての権利を行使できないため、会社は裁判所の許可を得てこれらの端株を強制的に買い取り、その対価として金銭(通常はTOB価格と同額)を交付します。

この一連の手続きを経て、アドバンテッジパートナーズは日本調剤の唯一の株主となり、完全な支配権を合法的に確立します。

非上場化後の新たなステージと日本調剤の未来

完全非上場会社となった日本調剤は、アドバンテッジパートナーズと共に新たな成長ステージへと移行します。その目標は明確です。一つは、テクノロジーを活用し薬剤師一人当たりの生産性を向上させる「デジタル化の推進」。もう一つは、不振事業を立て直す「事業ポートフォリオの再構築」です。

非上場化により、経営の自由度とスピードという最大のメリットを得る一方、株式市場を通じた大規模な資金調達が難しくなるというデメリットも抱えます。

アドバンテッジパートナーズのようなPEファンドは、通常5年から7年で投資先企業の価値向上を図り、その後「出口(Exit)」戦略を実行します。日本調剤の未来として考えられるシナリオは、主に2つです。一つは、企業価値が高まった段階で他の事業会社へ売却すること。もう一つは、高い収益性と成長性を実現した企業として、再び株式市場への上場(再上場)を目指すことです。

今回の上場廃止は、永続的な市場からの撤退ではなく、より強固な企業体質を構築するための、一時的かつ戦略的な選択と捉えることができます。

企業変革のエンジンとしてのTOB

日本調剤の事例は、厳しい事業環境に直面した企業が、TOBという金融手法を通じて非上場化を選択し、それが短期的な市場の圧力から解放され、長期的な視点で大胆な経営改革を断行するための戦略的な一手であったことを示しています。

これは、TOBが単なる買収の手段ではなく、現代経済において、企業が構造変化に対応し、自己変革を遂げるための強力なエンジンとして機能していることの証左です。日本調剤の社名は証券取引所の株価ボードから消えますが、企業そのものは、経営のプロフェッショナルの支援を得て、未来を切り拓くための新たな一歩を踏み出したのです。

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